チャイナハウスすけろく ― 助六食品工業株式会社 ―

チャイナハウスすけろく

社長あいさつ

 『すけろく』は昭和25年(1950年)松山市三番町にて『助六餃子老舗』として創業いたしました。中華料理店で『すけろく』というのは違和感があると思われますが、私の祖父 高野 肇が、現在の中国東北部(旧満州)の長春(旧新京市吉野町)にて『日乃出屋』という日本人相手の人形商を営んでいたそうです。終戦に際し当時の新京は、ソ連軍、国民党軍、八路軍等の進駐があり、当然商いができる環境になく、店舗を中国人の餃子職人に賃貸し、また自らも生きるために餃子づくり手伝っていたようです。昭和22年引揚げ、葫蘆島から祖父の故郷広島に引揚げたのですが、原爆で壊滅状態、身寄りもなく、祖母の実家である松山に引揚げてきたそうです。当然戦後の何もない、生きるために精一杯の時代、家族を養うために屋台営業を始めたそうです。

助六賓宴楼1965年開店の『助六賓宴楼』の歴史ある看板

 はじめは素人同然、見様見真似で焼鳥や揚物と満州で習った餃子を供していたようです。そして歌舞伎好きの元人形商の祖父が屋台につけた名前が『助六』です。餃子を売る屋台ということで評判となり、昭和25年(1950年)松山市三番町の地で『助六餃子老舗』を開店。本格的に中華料理店として創業いたしました。その後暖簾分けや本格的中華料理店『助六賓宴楼三番町店』を含め10店舗を展開しておりましたが、東京オリンピック後の不況に煽られ、『助六の餃子 勝山店』のみの営業となったそうです。

 そして昭和45年(1970年)父 高野貴志が承継ぎ、昭和55年(1980年) 当時としては全国的に珍しい中華料理のファミリーレストラン『チャイナハウス すけろく吉藤店』を開業いたしました。米国型のファミリーレストランのシステムを導入し、当時大皿が中心であった中華料理を1人前ポーションで、またセットで提供する画期的な手法でその後9店舗を展開し、『チャイナハウスすけろく』の基礎を打ちたてました。
 そして平成20年(2008年)私 高野博志が承継ぎ、三代目として、現在に至っております。創業よりこれまでも、またこれからも外食産業の環境は大きく変わってゆくと思いますが、先代達が培ってきたように、手作り感溢れる美味しい中華料理店として、また三世代のお客様が気軽に楽しめるファミリーレストランとして、地域になくてはならない『地域一番店』になるべく精進して参りたいと思っております。今後とも『すけろく』をお引き立て頂きますよう宜しくお願い申し上げます。

平成27年 6月吉日
助六食品工業株式会社 代表取締役 高野博志

代表取締役社長 高野 博志

代表取締役
高野 博志

勝利の鍵

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